透明人間

生きるって何だろう。

 

たぶん無駄な知能を持て余す

人間の永遠のテーマ

 

蝉はそんな無駄な事を考える事もなく、1週間という短い間に番を見つけて、子孫を残して人生に幕を閉じる。

 

けど

なぜ

私は蝉の1週間を短いと決めつけて

生きてきたんだろう。

 

蝉の1日が人間の10年なのかもしれない

 

だとしたら蝉も人間で言うところの70年生きてる事になる訳だし、中には8日9日10日生きる蝉が居ても不思議ではないから、人間でいう所の100年近くを生きているかもしれない事になる。

 

蝉の一生は短いと、人間が勝手に哀れんでるだけで蝉だって無駄な知能を持て余して生きることについて考えてたり、死んだらどうなるのかを考えてたりしていても全くおかしくない。

 

蝉だって暇な時間もあるし、番探しに常に必死ではないし、自分は子孫を残さない選択を自らする個体が居ても全く不思議じゃない。

 

そうなると

子孫を残すことをしないと決めたり夢も希望も持たない個体は、人間の妙齢な男女と変わらず何のために生きているのか?について考えを巡らせているかもしれない。

 

私は20代後半から本をたくさん読むようにしてきた。その結果、この世界に起こってるいることなどに偏見を持つことを極力、自分の中で排除したいと思って生きてきた。

 

少し卑猥な例えで言えば

人以外の動物だって生殖のみ以外、つまり快楽だけを求めて営みをすることもあるだろうし、好きな体位やフェチもあるんだろうなぁ。

とかを真剣に考えたりしてる。

 

この間友人と飲みながら進化論について話をしていて、猿の中でも果実が完熟を超えて発酵した物を食べられる種のみが生き残り、その結果人間だけがアルコールを摂取する動物となった。という話をしてくれて。

まずはアルコールは人間だけが摂取できるという人間至上主義的な話だなぁ〜。と思ったし、他の動物、例えばキリンがなぜ発酵した果実を食べたことのない設定になっているのかが不思議で、そこから友人とその辺について1時間近くその話をしていた。

彼は自分がその話を人から聞いた時に、キリンも食べていたかもしれないという発想にはならなかったし、面白い切り口だと喜んでくれた。

 

そういう時に

生きる。ってこういうことかな…

とたまに何となく輪郭を掴めた気持ちになる。

 

誰かと討論したり、肌に触れあったり。

他者を通してでしか自分が生きてる事が分からない。

分からないというか

そもそも自分が存在してるのかも他者に認識されて初めて存在する事になるから、もし私が透明人間なら生きながら死んでるようなものだと思う。

 

生きながら死んでる。という言葉が存在するように、生と死は朝が来て夜がくるように、泣いてる赤ん坊が必ず泣き止むように、ずっと傍で寄り添ってるものなのだと思う。